9年に渡る留学からご帰国され、現在日本で精力的に演奏活動をされている鈴木美紗氏。留学当時を振り返り、生活のこと、師であるパスカル・ドゥヴァイヨン氏・村田理夏子氏から学んだこと、そして今、彼女の演奏家&教育者としての感性に迫ります。
↑鈴木さんご出演コンサートはコチラ日本では経験できない「足るを知る」生活
ードイツには何年ほどお住まいでしたか?
鈴木:ベルリンに約9年間です。日本の音楽大学を出た年にベルリン芸術大学へ入学し、パスカル・ドゥヴァイヨン教授のクラスで約7年間学びました。2012年に大学院を卒業し、その後2年間は現地の音楽学校でピアノ講師として働きました。
ードイツに住んで良かった事は?
鈴木:敬愛するドゥヴァイヨン先生の素晴らしいレッスンを受けられたのはもちろんのこと、日常的にクラシック音楽の真髄を感じられたことです。
また、生活面では「足るを知る」を学び、シンプルに暮らしていました。あらゆる点で日本よりはかなり不便でしたが、最低限の物でも生活出来るんだと実感しました。
そして海外へ出た方々がよくおっしゃることですが、「日本がいかに恵まれているか」は常に痛感していました。
ー生活で困ることはありましたか?
鈴木:最初は家の契約や銀行口座開設、ビザ関連などドイツ語で苦労しましたが、周りに優しい先輩や頼りになる友人がたくさんいたので、色々と助けて頂きました。比較的治安が良くない地区に住んでいた頃は空き巣に遭ったり(!)、日本では有り得ない経験もいっぱいしました。
引っ越しは2回しましたが、始めに住んだところは隣人からの苦情が出たため、練習時間の制限があって大変でした。最後の家は練習こそ苦労しませんでしたが、上の住人の夜中の騒音が気になり、こちらが苦情を言う立場になって辟易しました。
さらに3階なのにネズミが出て、業者に駆除してもらう間、友人の家に泊まらせてもらいました。夜、1人でネズミが一瞬すり抜けて行ったのを見つけてしまった時の恐怖と言ったら…!!!筆舌に尽くし難いです。
本当に色々な出来事がありましたが、今となっては良い思い出です。笑
作曲家への敬意と、自分らしさ
ー現在の生活について教えて下さい。
鈴木:2014年夏に日本へ完全帰国し、東京でピアノを教えています。
教える立場でもある今、「どうやったら伝わるのか」をいつも考えさせられます。自分がどのように教わって来たかも思い出しながら、出来るだけ分かりやすく、何よりも“音楽の楽しさ”を伝えられるよう心がけています。
ークラシック音楽の良さとは?
鈴木:普遍的で、美しいこと。歴史と伝統、そして秩序があることです。
これだけの長い年月、世代や国境を超えて受け継がれ、愛され続けているクラシック音楽は、人類の素晴らしい宝だと思います。
ー好きな曲や作曲家は?
鈴木:たくさんあるので挙げるのはとても難しいですが…強いて言えば、ロマン派や近現代でしょうか。フランスやロシアの作品もとても魅力的です。
作曲家ではドビュッシーが一番好きです。ピアノ曲だけでなく、色彩や香りを感じられる作品に強く惹かれます。
オーケストラや室内楽作品も好んで聴きますが、季節によって聴きたい作品が変わることもあります。
ピアノ曲は人の一生分では足りないくらい膨大で、当然ながら名曲もたくさんあるため、選曲の悩みは付きものですが、それも贅沢な悩みで、大変恵まれているといつも思います。
ー演奏家として、最近どのようなことを感じますか?
鈴木:東京は特に演奏家が多いので、演奏する機会を作るのは大変なことだと痛感しています。演奏家が気軽にコンサートを開ける場所やチャンスがもっと増えることを切に願います。
また、聴衆の多くはやはり有名な作品が好きなのだなと思います。もちろん“誰もが知る名曲”はどれも素晴らしい曲ですが、世の中には埋もれている「知られざる名曲」もたくさんあるので、「知らない作品も積極的にどんどん聴こう」というスタンスでいて下さると、演奏家としては嬉しい限りです。
ー演奏家としてのこだわりはありますか?
鈴木:常に作曲家への敬意を払い、どう演奏するのが最善かを探しながら、自分らしく、自分の憧れや惹かれる世界を表現することです。
「自分らしい」とは何なのか…とても難しいテーマですが、それを一生模索し続けたいと思っています。
ーこれからの展望を教えて下さい。
鈴木:指導・演奏活動だけでなく、コンクールやオーディションの審査等を務めながら、日本の音楽界に少しでも貢献出来ればと思っています。
鈴木:後述する衝撃的な体験により、ドゥヴァイヨン先生のクラスに入学したかったからです。
師事したい先生がいる大学というのは1番の決め手ではありますが、その他の点においても、ベルリンは音楽を取り巻く環境が整っていてとても魅力的でした。
また、ベルリン芸術大学のピアノ科の水準が高く、教授陣が素晴らしかったことも決め手となりました。
ー合格した後の準備について教えてください。
鈴木:いったん日本へ帰り、船便で楽譜や衣料を送りました。
アパートは先に留学していた先輩や友人に助けてもらって見つけ、契約はドイツ語の堪能な先輩に不動産会社への付き添いをお願いしました。
「家が見つかれば、あとの色々な手続きは一気に出来る」と聞いていたので、その後はドイツ語と英語を混ぜながら、なんとか自力で済ませました。
ー大学の印象はいかがでしたか?
鈴木:伝統のある大学という印象でした。ストイックで、余計な誘惑も無く(笑)、ピアノに集中出来る環境でした。
クラスメイトもとても良い子たちばかりで、国や言葉の壁を超えて、お互い支え合える良い友情に恵まれました。
留学時代の苦楽を共にした友人との絆は深く、今もとても大切な宝物です。
ー留学先での先生のレッスンについて教えて下さい。
鈴木:ドゥヴァイヨン先生と、お弟子さんであり奥様の村田理夏子先生のお2人に師事しました。
ドゥヴァイヨン先生は全体のイメージやあるべきスタイルについて教えて下さり、とても音楽的インスピレーションに溢れる素晴らしいレッスンでした。その場で弾いて下さるなど、デモンストレーションして頂くことが多かったです。
特に、ラヴェルのピアノ協奏曲の第2楽章を弾いて下さった時は、レッスン室の時が止まったようで、、感動で泣きそうになり、動けなくなりました。
先生はいつも作曲家へのリスペクトを第一に考えられており、ご自分のスタイルを押し付けることは全くなく、むしろ生徒に自発的に考える姿勢を持たせるよう、常に導いて下さいました。
村田先生は音楽的なアドバイスはもちろんですが、特にテクニックなどの基礎について重点的にご指導下さいました。作品へのアプローチもより具体的で緻密な印象でした。何よりも村田先生は日本人なので、母国語でアドバイスを頂けたことは大変貴重でした。
今でも、先生方の多くの名言が私の中で保存されており、実際の指導でも助けられています。
また、お2人とも音楽家としてはもちろん、お人柄もとても素晴らしい方で敬愛しており、お2人の生き様を間近で見させて頂くことが出来て、人間的にも多くのことを学びました。幸いにもお2人の指導を受けられたおかげで、とてもバランス良く学ぶことが出来たと心より感謝しています。
また、月に1回は門下の弾き合い会があり、演奏だけでなく、生徒同士でも意見交換をする場があったことや、学内でのクラスコンサートも毎月行われるなど、とても恵まれた環境でした。クラスメイトの演奏をお互い聴き合い、継続的に切磋琢磨出来たことは貴重な糧となりました。
ーそれでは、先生との出会いの場面をお聞かせいただけますか?
鈴木:ドゥヴァイヨン先生との出会いは、実は私が日本の音大に通っていた頃まで遡ります。
当時、大学に毎年マスタークラスのためにいらしていた先生。
レッスンは何回か聴講し、1度受講もしたことがありましたが、その中でも特に強く印象に残っているのが、先生の演奏を聴いたことでした。
場所は、私が小学生だった音楽教室時代からずっと試験で演奏していた大きめの教室でした。そこにある、お世辞にも良いとは言えないピアノで、先生はフランクの「プレリュード、コラールとフーガ」を弾いて下さいました。その演奏は、まさに“衝撃”でした。
いつも試験で当たる度に思ったように弾けず困っていた、“あのピアノ”で弾いているとは思えないほど、多彩な音色、様々な情景が自由に表現され、手に取るように伝わってきて、、まるで魔法にかけられたかのようでした。
音響はコンサートホールのように豊かに響くわけでもなく、ピアノの状態も調整後のベストコンディションではないのにもかかわらず、です。それまで、うまく行かなかった本番をピアノのせいにすることもあった私にとって、「ピアノや場所を言い訳にしてはならない」と突きつけられたようでした。
痛烈な感動を覚えた私は、反射的に『この先生の教えを受けたい!』と願うようになりました。
それから4年後、実際にドゥヴァイヨン先生のもとで留学生活をスタートすることが出来、ついに夢が叶いました。「留学で一生の運を使い果たしたのかも」と思うほど、本当に幸運に恵まれた7年間でした。
今後も先生方から学んだ教えを胸に、常に音楽を愛し、作曲家を敬愛しながら、自らのスタイルを探し続けてゆけたらと思っています。
ーありがとうございました。
演奏家として、また教育者として活躍される、鈴木美紗さんの今後に注目です!
鈴木 美紗 (すずき・みさ)
東京生まれ。
桐朋学園大学を卒業後、ベルリン芸術大学へ入学。2008年に最高成績で修了し、コンチェルトイグザメン課程(ソリストコース)へ進学。2012年に修了、ドイツ国家演奏家資格取得。
日本クラシック音楽コンクール最高位、マリア・カナルス国際コンクール第4位並びにスペイン音楽最優秀演奏賞等多数受賞。
仙台クラシックフェスティバル「せんくら」出演、日本ショパン協会主催リサイタル開催。日本演奏連盟・新進演奏家育成プロジェクトシリーズで東京文化会館にてリサイタルを行い、いずれも好評を博す。
2011年4月から毎年続けている、東日本大震災で被災した仙台市のためのCharity Concert for Sendaiの寄付活動と功績により、2015年6月仙台市市長奥村恵美子氏より直接謝辞を受けた。
これまで主に柴沼尚子、江戸弘子、青柳晋、パスカル・ドゥヴァイヨン、村田理夏子の各氏に師事。
2014年7月に完全帰国し、現在、演奏活動の傍ら後進の指導にあたる。全日本ピアノ指導者協会正会員。
公式HP www.misasuzuki.com
チャリティーコンサートの様子(外部blog) https://blog.goo.ne.jp/charitysendai
この記事へのコメントはありません。